アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)作曲。オラシオ・フェレール(Horacio Ferrer)作詞。
1966年ごろからピアソラは結婚生活の破綻から始まるスランプに苦しめられていましたが、そのピアソラの創造性をよみがえらせユニークで大きな成功をおさめさせたものが、1968年からの詩人のオラシオ・フェレールとの共作の一連の歌曲でした。
フェレールとピアソラが初めてコラボ―レーションしたのが1968年の小オペラ「ブエノスアイレスのマリア」でしたが、マリアというタンゴを象徴する女性の誕生、死、転生という神話とも寓話とも取れる難解な内容は賛否両論で、興行的にはかなり苦しいところまでピアソラは追い詰められていたようです。
しかし音楽的には手ごたえを感じたピアソラはその後、「ロコへのバラード」「我が死へのバラード」「チキリン・デ・バチン」といった歌曲の名作を次々と発表しました。
「私はマリア」は「ブエノスアイレスのマリア」初演時は存在せず、後にフェレールが新たに作詞した曲です。ただしオリジナル版での「受胎告知のミロンガ」と歌詞が違うだけで、基本的には同じ曲といえるでしょう。
タンゴの象徴であるマリアの登場シーンであり、すべてを手玉に取り、ブエノスアイレスの街に君臨するマリアが、ピアソラの代名詞である「3・3・2」に乗せて高らかに名乗りを上げるという力強い歌です。
~私はブエノスアイレスのマリア、私のことを知ってる?
マリアはタンゴ、場末のマリア、夜のマリア、
宿命の情熱のマリア、愛のマリア、
ブエノスアイレスのマリアとは私の事!~
※タンゴ・グレリオでは女性歌手との共演で演奏しています。