バンドネオン奏者アレハンドロ・スカルピーノ(Alejandro Scarpino)とギタリストのファン・カルダレーラ(Juan Caldarella)の共作。
カルダレーラはミュージカル・ソー(のこぎり)の演奏家としての顔も持つなど多彩な人物だったようです。
この曲の発表された1925年にはフランシスコ・カナロ楽団のパリ公演が大成功をおさめました。
この曲のタイトルは、それを報じる新聞の見出しをそのまま使用しています。
実は曲はすでに出来上がっていたのですが、いいタイトルが思いつかなかったため、このニュースにあやかって命名したようです。
おりしも第一次世界大戦前後からパリでタンゴが流行し始めており、これを機にパリを文化の中心としてあこがれを抱いていたアルゼンチンの上流階級にもタンゴは浸透していきました。
派手な半音階の前奏から始まるこの曲は、1920年代半ばのタンゴの黄金時代の到来を感じさせる華やかな作品です。
余談ですが、この時期にパリに遊学していた目賀田綱美男爵が日本に帰国。
パリの社交界でタンゴにふれ、その熱心な愛好家となっていた目賀田男爵はタンゴについての情報やレコードを日本に紹介し、日本人がタンゴを知る重要なきっかけを作りました。
当時のパリがいかに流行の最先端の街として世界の注目を集めていたのがうかがえます。