タンゴの歴史③ 第1次黄金時代

◆「タンゴのロマン派」フリオ・デ=カロ楽団

フリオ・デ=カロ楽団

wikipedia「Tango」より

1920年半ばから一世を風靡したのはフリオ・デ=カロ6重奏団でした。(上の写真左端がフリオ・デ=カロ)
この楽団は高い演奏能力に加え、従来の作品に大胆で華やかなアレンジを施すことでさらなる魅力を引き出すという手法で人気を博し「いかに優れたアレンジを作り楽団の個性を出すか」というその後につらなるタンゴ楽団の方向性を決定づけました。
この楽団の後のタンゴへの影響力はとても強く、デ=カロ楽団の編成(バンドネオン2、バイオリン2、ピアノ、コントラバス)が、これ以降のオルケスタ・ティピカの基本編成とされていきました。

フリオ・デ=カロの作品としては「ティエラ・ケリーダ」「ボエド」などがよく知られています。
またフリオの兄のフランシスコ・デ=カロもロマンチックな作風の素晴らしい作品を残しています。(「黒い花」「ロカ・ボエミア」など)
この時代のクラシック音楽の影響の強い高踏的なタンゴをタンゴ・ロマンサと呼ぶこともあります。

このデ=カロの楽団で活躍していたバンドネオン奏者が、ペドロ・マフィアとペドロ・ラウレンスで、その高度な演奏技術は現代のバンドネオンの奏法の基礎となりました。
ペドロ・マフィアの作品としては「ラ・マリポーサ」「ベンタロン」、ペドロ・ラウレンスは「わが愛のミロンガ」などが有名です。

◆パリのカナロ

フランシスコ・カナロ

画像:Wikipedia「フランシスコ・カナロ」より

1925年にはフランシスコ・カナロの楽団のパリ公演が大成功し、ヨーロッパでもタンゴ人気が加熱します。(この影響で生まれたのがヨーロッパ産のタンゴであるコンチネンタル・タンゴでした)
フランシスコ・カナロは60年もの長きにわたって活躍した、まさに「タンゴの王様」。
その歯切れがよく軽快さなリズム感と、鮮やかで華麗な演奏は、「これぞタンゴ!」という王道の魅力があり、現在でも根強いファンがいます。
代表作は「ガウチョの嘆き」「黄金の心」「最後の盃」など。

「文化の中心」たるパリでのタンゴ・ブームは逆輸入のような形でアルゼンチンにも影響を与えます。
この時代のブエノスアイレスの富裕化や文化水準の向上にも後押しされて、1920年代にタンゴの人気は「第一次黄金時代」ともいわれる、一つの頂点に達しました。

ちょうどこのころ日本では、パリ遊学中にタンゴの熱心な愛好家となった目賀田綱美(めがたつなよし)男爵が帰国していました。目賀田男爵はフランス仕込みのタンゴを日本に紹介し、日本のタンゴの黎明期を築きました。

◆タンゴの失速とガルデルの死

カルロス・ガルデル

画像:Wikipedia「ポル・ウナ・カベサ」より

その後、1929年の世界恐慌の影響やアメリカのジャズやポップスの流行などもあり、タンゴの人気にも少しずつ陰りが見え始めました。
あまりに人気が過熱したためタンゴ自体が定型化し、マンネリに陥ってしまったことも原因の一つといえるでしょう。

そんな中でも歌謡界のスターであったカルロス・ガルデルは海外公演を積極的に行い映画にも出演するなどして、タンゴ界を牽引していました。
彼が俳優として主演した映画の劇中で歌われた「想いの届く日」「ポル・ウナ・カベサ」「ボルベール」などは不朽の名作として現在も全世界で愛されています。

しかし1935年、演奏旅行中のガルデルはコロンビアで飛行機事故にあい急逝。
国民的英雄の突然の死に人々は悲しみに包まれ、タンゴにも大きな転機が訪れようとしていました。


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バンドネオン&ギターDuo


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