タンゴの歴史①【タンゴの始まり】

1880年のラ・ボカの港

◆大都市ブエノスアイレスの片隅で

タンゴは1870~80年ごろ、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで誕生しました。
当時のブエノスアイレスはヨーロッパからの移民を盛んに受け入れるようになり、大いなる発展の時期を迎えていました。(名作アニメ『母を訪ねて三千里』の時代ですね)

そんな中、港近くのラ・ボカ地区のあたりは船乗り、労働者、移民などが夜な夜な集まる安酒場や娼館が立ち並び、やくざ者や食い詰めた者たちがたむろする荒っぽい町になっていました。

根無し草のような彼らが、世の中の憂さを晴らすために踊り歌っていた音楽が、タンゴの原型でした。
演奏されていたのはごった煮のような音楽…ギターやフルート、クラリネット、バイオリンといった楽器を持った流しの楽団が集まり、歌や踊りの伴奏をしていました。

男同士で踊られる初期のタンゴ

Wikipedia「Tango」より

そういった場所で演奏されていたのがヨーロッパで流行したハバネラやワルツやポルカ、黒人音楽がルーツのカンドンベ・・・それらが渾然一体となって発生した音楽が、いつしか「ミロンガ」や「タンゴ」と呼ばれるようになっていったのです。
当初のタンゴは、現在よく聴かれるような哀愁を帯びた音楽ではなく、ハバネラとあまり変わらない2拍子の軽快でこっけいな雰囲気の演奏が多かったようです。
不思議なことにこのころのタンゴは写真のように「男同士で踊る」こともあったようですが、事の真相は現地でも意見が分かれています。

◆最初のタンゴ

最古のタンゴ/ロセンド・メンディサーバル作曲の「エル・エントレリアーノ」

Wikipedia「Rosendo Mendizábal」より

しかしながら貧民街で生まれたタンゴは、当初は場末のやくざ者(コンパドリート)たちが踊るいかがわしい音楽とされており、良識ある一般市民は敬遠していました。
演奏者も楽譜を書いたり、歌詞を書き留めたりといったこともしなさそうな素人まがいの人間が多かったので、最初期のタンゴについてはほとんど実態を知る資料は残っていません。

それが徐々に認知され、楽譜の出版なども行われるようになっていったのは、やはりタンゴの持つ得体のしれない魅力にとらわれる人が、当時から少なくはなかったということでしょうか?
19世紀の終わりごろには、次第に場末の悪所から抜け出して大っぴらにタンゴが演奏される機会も増えていきます。

ちなみに出版されたタンゴで最も古いものは1880年の「バルトーロ」(作者不詳)ですが、今日はあまり演奏されていません。
現在もよく演奏されている曲の中で最古のものは、1897年ロセンド・メンディサーバル作曲の「エル・エントレリアーノ(El Entreriano)」という曲です。

◆エル・チョクロ

アンヘル・ビジョルド

Wikipedia「Ángel_Villoldo」より

20世紀に入ったころには、タンゴの人気はさらに高まりますが、その火付け役になった人物の一人が「エル・チョクロ」の作者として有名なアンヘル・ビジョルド(Ángel Villoldo)でした。

彼は演劇の脚本家、サーカスの道化師、詩人、音楽教室の経営など様々な顔を見せたなかなかユニークな人物だったようですが、夜はギターの弾き語りで聞かせるタンゴで大いに観客をわかせました。
タンゴ最初のヒットメイカーともいえる彼の作品はヨーロッパにも伝わり、1907年にはパリでの公演まで行っています。

さらに1900年前後くらいにドイツ移民がもたらした楽器「バンドネオン」がタンゴ楽団に盛んに取り入れられるようになります。
その哀愁を帯びた音色と小型ながら5オクターブもの広い音域をもつことが大いに重宝され、やがて「タンゴの魂」ともいえる中心的な役割を担うようになります。

バンドネオンと初期のタンゴ

Wikipedia「タンゴ」より


TANGO GRELIO

バンドネオン&ギターDuo


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グアルディア・ビエハ

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