タンゴの歴史④【第2次黄金時代】

タンゴの黄金時代1950年

◆タンゴの古典回帰運動

フアン・ダリエンソ

wikipedia「フアン・ダリエンソ」より

1930年代後半のタンゴ不振の時代に、「古典回帰運動」ともいえる試みがなされます。

まずフアン・ダリエンソ楽団の躍進。
強烈で歯切れのいいスタッカートでリズムを強調し、古典タンゴの新たな魅力を引き出した彼の演奏は「電撃のリズム」と称されました。徹底して「踊れるタンゴ」であり続けたスタイルは大人気を博し、人々を再びダンスホールに向かわせることになります。
日本の古くからのタンゴファンはこのダリエンソ楽団の愛好家が多いようです。

これを受けてロベルト・フィルポやフランシスコ・カナロら大御所たちも古典タンゴへの回帰を始めます。

またセバスチャン・ピアナらはタンゴの原点ともいえるミロンガのリズムを見直し、「ミロンガ・センティメンタル」「ミロンガ・トリステ」などを発表し、タンゴの根底にある野性味や力強さをよみがえらせました。

◆黄金の40年代

アニバル・トロイロ

wikipedia「Guardia Nueva」より

これらの動きに後押しされるように、1940年代になるとこれまでの楽団に加えて、「史上最高の楽団」と称賛されカリスマ的な人気を誇ったアニバル・トロイロ(「スール」「最後の酔い」「ラ・トランペーラ」など)、伝統的なタンゴの手法を用いながらも実験的な革新も意欲的に行ったオスバルト・プグリエーセ(「ラ・ジュンバ」「レクエルド」など)、独自の気品あふれる音楽を展開したカルロス・ディ=サルリ(「バイア・ブランカ」など)などの楽団をはじめ、フランチーニ=ポンティエル、アルフレド・ゴビらが次々と活躍し始めました。

彼らは演奏技術・作曲/編曲技術ともに高い水準にあり、その演奏は大衆に幅広く受け入れられ、タンゴは絢爛たる成熟期を迎えていました。
オルケスタ・ティピカの編成もバンドネオン、バイオリンが複数入った、10人を超えるような大きな楽団が多くなりました。多くの人気楽団が人気獲得のためにしのぎを削る中で、音楽の内容や演奏技術も高度に磨き上げられていったのです。

カルロス・ガルデル亡き後、新たな世代の歌手たちが、活躍し始めたのも見逃せません。
ネリー・オマール、フリオ・ソーサ、エドムンド・リベーロ、ティタ・メレーロ、少し遅れてロベルト・ゴジェネチェ・・・彼らは1940年代から50年代にかけて頭角を現し、その後長きにわたってタンゴの屋台骨を支えていくことになります。
その歌詞は単純な男女の愛憎を超えて、人間の内面を深く描いたより高度なものとなり、芸術性を高めていきました。

第2次世界大戦に端を発する好景気、その後のペロン大統領による積極的な経済政策や民族主義的な政策にも後押しされ、タンゴが最も輝いていたこの時代は、第2次黄金時代とみなされています。

しかし国民にカリスマ的な支持を得ていたペロン大統領夫人エビータが1952年に死去、さらに1955年の軍事クーデターによるペロンの失脚がアルゼンチンに暗い影を落とし、その後タンゴは長い低迷の時代へと進んでいくのです。