タンゴの歴史② 【グアルディア・ビエハ】

フランシスコ・カナロ

◆タンゴの古典期

タンゴの黎明期から1920年代半ばくらいまでは「グアルディア・ビエハ」と呼ばれており、タンゴの根幹が作られた古典期として重視されています。
最初期に活躍していたのは、前述のアンヘル・ビジョルドの他、ビセンテ・グレコ(「黒い瞳」「ロドリゲス・ペーニャ」など)、ロベルト・フィルポ(「夜明け」など)、『バンドネオンの虎』とあだ名されたエドゥアルド・アローラス(「デレーチョ・ビエホ」「エル・マルネ」など)ら。その他にも「7月9日」「ホテル・ビクトリア」「フェリシア」「エル・ポージョ・リカルド」など、この時代の多くの作品が現在でもたびたび演奏されています。

20世紀以降のタンゴは大きな舞台で演奏される機会が多くなり、ピアノ、バンドネオンなど音量が大きい楽器が主流となったため、ギターは表舞台からいったん退場することになります。ギタリストはコントラバスに転向したり、歌手の伴奏をしたりすることで生き残りをかけたようです。

1910年代からは、バンドネオン+ピアノ+バイオリン+コントラバスという編成による「オルケスタ・ティピカ(典型的なオーケストラ)」の原型が登場し、やがてその後のタンゴの定番の編成となっていきます。
またオルケスタ・ティピカが登場したころから、タンゴのリズムはハバネラやミロンガに影響された軽快な2拍子から、より複雑なニュアンスを表現できる4拍子へ近づいていきました。
曲調も長調よりも短調が好まれるようになり、音楽的な深みを増していくことになります。

◆タンゴ・カンシオン

カルロス・ガルデル

画像:Wikipedia「ポル・ウナ・カベサ」より

この時期までのタンゴにも歌がつくことはありましたが、どちらかというと演奏の添え物扱いで、あまり重視されていませんでした。

転機が訪れたのは1917年にサムエル・カストリオータ作曲の「ミ・ノーチェ・トリステ(わが悲しみの夜)」という作品が発表されてからでした。

パスクアル・コントゥルシが作詞した歌詞の魅力と、不世出の歌手カルロス・ガルデルの見事な歌唱力で大ヒットしたこの作品の影響で、以降のタンゴに歌はつきものとなり、タンゴは単なる踊りの伴奏ではなく、歌謡曲(タンゴ・カンシオン)としての魅力も持つようになります。

単純に踊りのための音楽というだけではなく、歌詞が付くことによってタンゴには物語性が加わり、より複雑な人間の感情や哀愁を表現する、ドラマチックなジャンルとして成長していったのです。

 

 

◆ラ・クンパルシータ

ラ・クンパルシータ

画像:Wikipedia「La cumparsita」より

ちょうどこの時期「もっとも有名なタンゴ」である「ラ・クンパルシータ」が発表されているのも見逃せません。
マトス・ロドリゲスが作曲した原曲に大幅に手を加えて、1917年にロベルト・フィルポが初演、当初はさほど話題にならなかったものの、その後徐々に人気が高まり、いまやタンゴの代名詞ともいえる記念碑的な作品となっています。

折しも第一次世界大戦(1914~1918)のころであり、アルゼンチンは軍需景気にわき、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称されるほどの繁栄を見せました。

このような好況を背景にタンゴは成長を続け、もはや黎明期の素人まがいの演奏家たちではなく、しっかりとした音楽的知識を持った人材が、作曲や演奏に携わるようになります。
(「エル・オンセ」のオスバルド・フレセド、「ガジョ・シエゴ」「恋人なんていなかった」のアグステイン・バルディ、「私の隠れ家」「ノスタルヒアス」のフアン・カルロス・コビアンなど)

タンゴはブエノスアイレスの街とともに上昇気流に乗って、黄金時代へと発展していったのです。